江美領一・花園ベティ

江美領一・花園ベティ

若き日の領一・ベティ

晩年の領一・ベティ(関係者提供)

 人 物

 江美えみ 領一りょういち
 ・本 名 堀内 龍一
 ・生没年 1926年5月24日~2000年12月18日
 ・出身地 大阪?

 花園はなぞの ベティ
 ・本 名 堀内 艶子
 ・生没年 1934年7月31日~2017年9月24日
 ・出身地 大阪市

 来 歴

 江美領一・花園ベティは戦後から平成にかけて活躍した夫婦漫才である。美声・美貌・舞台度胸の三拍子そろった花園ベティが、痩せぎすで頼りない領一を罵倒やからかいながら、領一のギターを相手に歌謡曲や浪曲を唸るという古風な女性優位の音曲漫才を得意とした。

 江美領一の経歴は謎が多いが、西川ヒノデの弟子で弟だという。『上方演芸人名鑑』の中に、

 江美領一 西川ヒノデの実弟であり、弟子でもある。前名西川ヒデ坊。妻の花園ベティとコンビを組んで、自らはギター片手の歌謡漫才である。愛称”かまきり”。ベティは浪曲の中山恵津子の妹で、ともに芸能一家。豊富なキャリアを誇る貴重な中堅である。

 とあるのが数少ない経歴である。

 ただし、西川ヒノデのご遺族に聞いても「ヒノデは母と弟と妹がいて、母親は死ぬまで面倒を見ていた――という事はヒノデや叔母から聞いてますし、妹は東京の金持ちと結婚して、弟は武田という家に養子に出されたそうです。そもそもヒノデは西川が本名ですし、それが変わった事はないかと思います」という。

 その弟の遺族筋に聞くと「祖父は鳥取に住んでいて軍医をやっていました。祖父や親類などは、祖父の兄が漫才師・西川ヒノデだった事は把握していたものの、それ以上の関係は知りません」との事であった。

 では「花園ベティの家に嫁いだか」と言われるとそれも違う。後述するが、ベティの旧姓は「仲田」である。堀内ではない。領一が婿に入ったわけでもないようである。

 一方、ベティの姉である中山恵津子氏の関係者から「ヒノデと江美領一は兄弟だけど仲が悪くって……」というような話を伺った。本当に仲が悪いので、両者共に「あれは兄」「あれは弟」とも言わなかった可能性は高い。長年疎遠になっていれば尚更である。

 あるいは、本当にご遺族の知らぬ所で養子のやり取りがあり、それをヒノデだけが知っていた――という可能性も否定できないが、それならばヒノデの妻が知っているわけで、その人に聞いても「知らない」という以上はますます謎が深まる。

 また、桂米朝は「領一はあひる艦隊にいた長井隆也の弟子」と全く別の事を言っている。『米朝上岡が語る昭和上方漫才』の中で、

米朝 そこに永井隆也というのもメンバーにおった。その弟子が、花園ベティ・江美領一の領ちゃんや。

 長井はあきれたぼういずの代理メンバーとしても活躍していた人物である。あきれたぼういずに一時加入する事もあって、音楽が達者であった。個人的にはこちらの可能性を取りたい。

 一方の花園ベティはある程度経歴が判っている。

 ベティの母は春野百合千代という浪曲師。姉の百合子(1928年~ご健在)は「中山悦子」(後年中山恵津子)と名乗り、わずか9歳にして娘浪曲師としてデビューを果たした浪曲師である。次姉の裕美子(1931年~ご健在)も、浪曲師として舞台に立った後、姉の三味線や伴奏に回っている。

 姉の悦子は天才浪曲師として称賛され、吉本せいから直々にスカウトされて吉本の名門劇場に出演したほどである。戦時中は新興演芸部に移籍したほか、東宝名人会でも「若き天才」として高く評価されるなど、幼いころから芸能一家で育った。

 ベティ自身も親に浪曲の手ほどきを受けた他、親や姉について寄席や劇場に出入りした。その関係から知らず知らずに芸能界へ入り込むようになった。

 戦後、二人は結婚し漫才師となった。西川ヒノデ門下からスタートしたようであるが、スタート前後の事はよくわからない。

「花園ベティ」は戦後日本に再輸入され爆発的な人気を誇った「ベティ・ブーブ」をモチーフにしたという。

 ヒョロヒョロとした江美領一がギターをかき鳴らし、美女で美声のベティが領一を「カマキリ!」と罵倒しながら、歌謡曲や浪曲を演じるのが十八番であった。

 テーマソングも徹底的な江美領一貶しから始まっていたそうで、秋田実刊行の雑誌『漫才』の中で、

〇テーマソング
レジャーブームの近頃は 映画野球やドライヴや あまたお遊びある中を ようこそ ごひいきおはこびを、あつく御礼申し上げ隣りで伴奏懸命の江美領一は捨ておいて 花園ベティばかりを どうかよろしく願います

隣りに控えたオジチャンは 色が黒くてひよろ長く 肉がつかずに骨こえて お金もなければ力なく どこにとりえもないけれど 隣りでボロロンボロロンと ギター伴奏しています
ほんの私の付属品 ついでにカマキリも どうぞよろしくたのみます

〇エンディング
僕等は朗らか いつでも ゆかいに元気で楽しく暮しましよう

悲しい時は歌うたい うれしい時も歌うたう
それでは皆サン これにてさようなら
元気で ゆかいに 暮しましよう。

 と、テーマソングの中では特に強烈である。

 相応の腕を持ちながら、戦後の漫才ブームに乗り切れなかったのは江美領一の体調不良にあったようである。江美領一は戦後蔓延したヒロポン中毒に悩んでいたそうで、一時期療養所に入ったほどであった。

 このヒロポン中毒振りは楽屋でも有名だったそうで、上岡龍太郎は駆け出し時代の強烈な先輩として自伝『上岡龍太郎かく語りき―私の上方芸能史』の中に記している。

(花園)ベティ(江見)領一さんの領一さんは西川ヒノデ師匠の弟で、これはもうヒロポンの中毒で有名な人でした。中毒を治すために施設に収容されてたこともありました。とにかくヒロポン中毒がひどかった人で、アンプルを切りすぎて親指の先が半分ぐらいしかないようになってしまってましたが、それで器用にギターを弾いてはりました。ギターのうまい人でした。

 なんとか中毒から抜け出した江美領一は、仲間の勧めで吉本興業に所属。吉本が演芸興行に復帰する際の第一陣として梅田花月やなんば花月に出演する事となった。

 吉本の舞台ではなかなかの人気を持っており、漫才ブーム以前の中堅の一人であった。ベティ夫妻の姉にあたる中山恵津子も「中山恵津子ショー」として舞台に立っており、姉妹で同じ舞台に出る事もあったようである。

 しかし、1970年代後半から始まった漫才ブームや演芸界の改革で、吉本を退社。以降は営業や巡業で稼ぐフリーの漫才師となった。

 上方演芸協会や上方芸能親和会などといった協会にはあまり関与せず、本当にフリーの立場を貫いた。

 長老として矍鑠と働いていたが、最初に領一が体調を悪くして2000年に死去。没年は高橋ひろみ氏よりご教示いただいた。

 残されたベティは姉の中山恵津子の近くに住み、娘の面倒を見て貰って余生を送っていたというが、2017年に亡くなられたという。

 末妹が姉の恵津子、裕美子よりも先に亡くなったというわけである。

コメント

  1. 堀内 紀文子 より:

    私はベティ・領一の次女でございます。記憶のズレや薄れもあるとは思いますが、お聞きになりたい事があれば覚えている限りはお答えさせていただきます。伯父である西川ヒノデ氏に関しては、父龍一の父親違いの兄弟です。両親を見送った私の気持ちもありコメントさせていただきました。

    • 喜利彦山人 より:

      このたびはご連絡ありがとうございます。上方漫才のすべて管理人の神保喜利彦です。
      なぜかメールアドレスがつながらなかったため(送りましたがメールアドレス不明となってしまいました)、コメントで返信を致します。ご了承くださりませ。
      花園ベティの項目執筆の折、高橋ひろみ氏及び中山恵津子氏経由で色々とご教示を頂けまして、なんとか記事を立項いたした次第です。ご遺族からご連絡いただけるとは恐縮の限りです。
      さて、サイトでもいくつか謎をぼかしてしまいましたが、お尋ねいたしたい事がございます。

      一、花園ベティ氏の母は浪曲師、姉も浪曲師ですが、花園ベティ当人は娘浪曲師だった事があるのでしょうか。姉二人が浪曲師、しかも後年の漫才で歌謡浪曲を唸っていた事を考えると浪曲を習っていた感が強そうなのですが、そこのところはどのようなものでしょうか。芸名などあったのでしょうか。

      二、西川ヒノデとは父違いの兄弟(異父兄弟)とありますが、堀内姓になったのは母親(ヒノデの実母)が堀内某に嫁がれた――という事でしょうか。ヒノデの連れ子が大阪におりますが、「ヒノデ叔父は若い頃のことをほとんど語らない」との由で、またヒノデの実弟(鳥取に遺族がいます)は幼いころ養子に出されているためにその辺りの事情をほとんど知らず――という感じでして、「西川ヒノデと領一は兄弟」というのが非常に悩ましい記載となっております。
      ヒノデ遺族の話では最晩年の実母の面倒を見ていたらしいですが、判然と致しません。家庭的な問題故、深くはツッコミできませんが、ご存じの範囲でご教示いただけますと幸いです。

      三、江美領一氏の経歴には謎が残ります。若いころはどういう経歴を辿り、どういう経緯で漫才界に入ったのか、そして西川ヒノデ門下だったのかどうか、ご存じの範囲でご教示いただけますでしょうか。

      四、1980年頃に吉本を退社した後は、関西演芸協会にも親和協会にも属せず消息があいまいだったのですが、いつ頃まで舞台にお出になられていたのでしょうか。サイトの写真では1990年代初頭までは出ていた事が確認できますが――やはり巡業や余興などが中心だったのでしょうか。

      長々としたメールとなり恐縮ですが、ご回答いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
      サイトの方も更新を続けてまいります。

      神保拝

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