上方漫才を彩った人々(仮)

上方漫才を彩った人々(仮)

一陽斎蝶一

一陽斎蝶一は戦後活躍した奇術師。一陽斎一門の係累を守り、大掛かりな西洋奇術を得意とした――が、凄まじい粗忽と失敗談を残し、「上方随一の面白奇術師」のあだ名を残すほどの奇人・変人として知られた。その逸話の数々は今なお語り草となっている。
上方漫才を彩った人々(仮)

三遊亭柳枝

三遊亭柳枝は戦前戦後活躍した漫才師。漫才黎明期より活躍し、澤田正二郎や阪東妻三郎の芝居を真似にする漫才で人気を集めた。戦時中はミヤコ蝶々と結婚、数年間の夫としても知られた。戦後は柳枝劇団の座長として活躍。上方柳次・柳太、やなぎ浩二などを育てた。
上方漫才を彩った人々(仮)

赤井タンク

赤井タンクは戦後活躍した漫才師。175センチ85キロという巨漢で、漫画トリオと別れたばかりの青芝フックとコンビを結成し、「フック・タンク」で売っていたことがある。芝居も上手で明るい人であったが40代半ばで夭折した。
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加藤瀧子

加藤瀧子は戦前活躍した漫才師。砂川捨丸の初期の相方として活躍し、数多くのレコードを残した。大変な芸達者として知られ、戦前における女流漫才の大御所であったというが、最期はトラブルに巻き込まれて殺されたという。
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ゼンジー中村

ゼンジー中村は戦後活躍した奇術師。漫才師と仲がよく、漫才の合間に挟まって本格的な奇術を展開する高座で人気を集めた。今日も活躍する関西奇術界の大御所・ゼンジー北京の師匠としても知られる。実力はあったが夭折した。
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ジャグラー都一

ジャグラー都一は戦前戦後活躍した関西のマジシャン。漫才師ではないものの、漫才師と仲が良く漫才席に出演し続けたため、ここに採録した。長らく「一陽斎都一」と名乗っていたが、戦後、師匠の提案で「ジャグラー」を復興。ジャグラー一門の再建に力を注いだが、事故に倒れて夭折した。
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司敦子(ピンアップトリオ)

司敦子(ピンアップトリオ)は、戦後活躍した漫才師。祖父母、父と親子三代の漫才師の家に生まれ、自身も漫才界に参入。「ピンアップトリオ」と称する音楽漫才で活躍したが、後年は漫才界をやめ、興行師となったという。
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浮世亭柳平

浮世亭柳平は戦後活躍した漫才師。元々市電の運転手であったが漫才が好きで、浮世亭一門に入門。弟弟子と組んで「とん平・柳平」として明るいしゃべくり漫才を得意とした。人気はあったものの、胃癌にかかり夭折した。
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鼻乃ルンバ

鼻乃ルンバは戦後活躍した漫才師。二代目内海突破の弟子で、姉弟子の名前「ルンバ」を継承した。大きな鼻にとぼけた話術を持っていたが、貧困と栄養失調のために21歳の若さで夭折。漫才史上最も若い死者と記録される人である。
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二代目西川サクラ(丘みどり)

二代目西川サクラは戦前戦後活躍した漫才師・コメディアン。「丘みどり」という芸名の方が有名なのかもしれない。同名の歌手がいるが無関係である。上田五万楽の娘に生まれ、西川ヒノデに望まれて「二代目サクラ」として高座に立ったが、余り長続きせずに解散した。

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