クルミ・ミルク
人 物
クルミ
・本 名 丸山輝美
・生没年 1962年1月24日~ご健在?
・出身地 神戸
ミルク
・本 名 溝畑 裕美子
・生没年 1962年3月24日~ご健在?
・出身地 大阪
来 歴
漫才ブーム中に颯爽と現れながら、すぐさまコンビを解消した女流コンビ。美貌と若さを売りにした元祖アイドル的な漫才師であったという。Wikipediaにも記載がほとんどないので、ここに紹介する。
経歴は『平凡』(1981年7月号)に詳しく出ていた。
クルミは神戸、ミルクは大阪とともに関西の生まれ。
学生時代は普通の女の子だったそうで、クルミはバトン、ミルクはマラソンが得意だったという。
高校卒業、大阪スクールメイツに入学。歌やダンスなどを習ったが思うようにはならなかった。
ここで意気投合した二人は、桂三枝の弟子になりたいと考え、1980年春に三枝に弟子入りを志願する。
三枝は「素人名人会で優勝したら弟子にする」といって一度二人の弟子入りを断った。
二人はすぐさまコンビを組んで素人名人会に出演。勝ち進んで優勝した。
1980年夏に桂三枝門下となり、9月京都花月で初舞台。ただし、当時は余り漫才が上手くなく、吉本の関係者も色々と手を加えたという。
お笑い作家で吉本にいた萩原芳樹『お笑い作家の吐息』によると萩原が家庭教師のような形で育てたという――
「そうか、仕方ないな。勿体ないチャンスやのに。もう一つの頼みなんやけどな、漫才のことを全くわかってない新人の女の子コンビがいてるのやけど、君面倒見てくれへんか?」と。
その二人は「クルミミルク」という女性コンビで、二人とも歌手に憧れて「スク-ルメイツ」の出身。
ルックスは、歌手を目指していただけのことはあって、そこそこなのですが、笑いの作り方を知らないようでした。「どうや?君はド素人の洋七君を一人前にした男や。引き受けてくれるか?」と。
「承知しました」
その件に関しては、すんなりOKさせてもらいました。それからというもの、「クルミミルク」に私は漫才の特訓を開始。
週に二回、二時間の約束で漫才を指導しました。
報酬も吉本さんから、それなりにいただいていたので、私も真剣に指導を。
まるで家庭教師ですよね。
しかし、これでもうまくならないので、若井こづえ・みどりの漫才をそっくりコピーさせ、そのまま高座に上がらせた――という笑えない笑い話が残る。
しかし、当時は漫才ブームということもあり、グラマーなクルミと細いミルクの凸凹コンビで人気は集まった。
1981年5月3日より、日本テレビ『お笑い日曜劇場』のレギュラーになる。アイドル的な漫才師で人気を集めたという。
さらに『オレたちひょうきん族』の準レギュラーにも抜擢され、ビートたけしや明石家さんまのコントに付き合った。
この頃になると多少は喋りもこなれてきたようで、クルミがポンッと飛び上がってミルクをどつくというジャンピングツッコミという一芸を生み出した。これが結構当たったそうで、たけしも『オレたちひょうきん族』の中で演じたこともある。
吉本のホープとしてみなされたが、売り出して間もなくコンビ解消。一説では寿解散であったという。
1989年秋、『オレたちひょうきん族』が番組終了する際に関係者が「あの人は今」というような企画を放映した。
四方八方消息を求めたところ、ミルクは東京で主婦としておさまっていることが判明。なんとか番組に出られたが、クルミの消息は一向に分からなかったという。ミルクにして「連絡先も知らない、仕事だけの関係だった」という。


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