2020-10

上方漫才を彩った人々(仮)

河内家房春

河内家房春は戦前活躍した漫才師。名門・河内家の流れを汲み、漫才創成期より活躍。廣澤虎造や人気浪曲師の節真似を看板芸に、吉本の主戦力として花月系の舞台に立ち、レコード吹込みなどもした。売れっ子であった一方、大変な奇人で漫才よりもそちらで浮名を流したという。相方は妻の鶴江が長かった。
上方漫才を彩った人々(仮)

H・フォン・タクト

H・フォン・タクトは戦前戦後活躍した外国人漫談家。多くの漫才師や落語家たちの中に挟まって、「一人オーケストラ」なる演目を開拓。その独特の芸や愛嬌で独自の人気を集めた。戦後勃興した外国人タレントの中でもひときわ異色な存在である。
上方漫才を彩った人々(仮)

松鶴家千代八(二代目)

松鶴家千代八(二代目)は、戦前戦後活躍した女流漫才師。松鶴家千代八は実の夫で、相方でもある。戦前は夫・千代八とのコンビで、戦後は桜川末子とのコンビで長らく漫才の第一線に立ち続け、数え歌、俗曲、三味線などの味をふんだんに生かした古風な「萬歳」の古格を守り続けた。
上方漫才を彩った人々(仮)

桜山梅夫・桜津多子

桜山梅夫・桜津多子は、戦前戦後活躍した漫才師。両人ともにキャリアは古く、縁戚関係にあったが、夫婦ではないという特殊なコンビであった。梅夫は漫才界きっての三味線の名手であり、櫓太鼓やたぬきなどの難曲を見事に弾きこなした。津多子は貫禄のある歌声と特徴的な「細目」で人気があった。
上方漫才を彩った人々(仮)

寺島玉章・茶目

寺島玉章・茶目は、戦前は大阪吉本、戦後は東宝名人会を中心とした寄席で活躍した曲芸師グループ。玉章は秦玉章という名の中国人で、外国人タレントの先駆け、茶目は玉章の妻の弟で弟子分という複雑な関係を有していた。火の輪くぐりや人間ブリッジを得意とし、戦前戦後長く息を保った。
上方漫才を彩った人々(仮)

河内家鶴春

河内家鶴春は、戦前戦後活躍した漫才師。戦後、女流漫才の人気者で会った浜お龍は妻で相方であった。亭号の「河内家」の通り、河内家芳春の門下。三味線から音曲まで何でもこなす器用な芸人として有名で、長らく吉本の看板として人気を集めた。

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