桜山源若・小奴

桜山源若・小奴

 人 物

 桜山さくらやま 源若げんわか
 
・本 名 林恵
 ・生没年 ??年~1950年代?
 ・出身地 ?? 

 桜山さくらやま 小奴こやっこ
 
・本 名 良カナエ
 ・生没年 ??~??
 ・出身地 ??

 来 歴

 戦前戦後活躍した漫才師。桜山の芸名の通り、音頭取りの出身で、出こそ名門であったものの、殆どドサ回りで終わったようである。小奴は、上方漫才きっての三味線名人と謳われた桜山梅夫の姉だと聞く。

 経歴等は不明。桜山源丸の弟子だったというが、『笑根系図』などには名前が出ていない。小奴は、桜山梅夫の姉だそうであるが、確証はない。「良」という珍しい苗字の持ち主であった。

 数少ない資料として、『米朝上岡が語る昭和上方漫才師』がある。

米朝 あれは桜山源若・小奴という漫才が古くからやっていました。「今まで止まった停留所の数はなんぼやっ」「こっちは人数勘定してるがな!」「そんなこと初めからいうてヘンがな」。
上岡 あれはそんな古いネタですか。
米朝 古いことは古いンです。あの源若はんという人は不思議な人やった。関西一円の私鉄やらバスについてやたら詳しい。「どこそこへ行くンやったらどこそこまで行って下りて乗り換えて」 とかね。「なんでそないに知ったはりますねん?」「わしはもうドサばっかり廻ってたさかいになあ」というてた。

 上記の通り、表舞台にほとんど出ることなく、始終ドサ回りで終わったようだ。

 

  1948年3月1日、京都富貴のこけら落としに出演。当時の記録によると、

秋田A助・B助、桜山源若・小奴、椿ヨシオ・ミサオ・○久美、高田水月・朝江、三升源次郎・若松家正太郎、千守歌子・人生幸朗、櫻川末子・井々池大島(東文章)、春日漫楽団(桜山小夜子・一郎・弦二郎・サクラ・梅夫)

 1953年の「関西演芸協会」の名簿には名前が出ているが、1960年度の名簿には両人ともに名前がなくなる。どちらかが亡くなったか、廃業した模様。

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