上方漫才を彩った人々(仮)

ゼンジー中村

ゼンジー中村は戦後活躍した奇術師。漫才師と仲がよく、漫才の合間に挟まって本格的な奇術を展開する高座で人気を集めた。今日も活躍する関西奇術界の大御所・ゼンジー北京の師匠としても知られる。実力はあったが夭折した。
上方漫才を彩った人々(仮)

ジャグラー都一

ジャグラー都一は戦前戦後活躍した関西のマジシャン。漫才師ではないものの、漫才師と仲が良く漫才席に出演し続けたため、ここに採録した。長らく「一陽斎都一」と名乗っていたが、戦後、師匠の提案で「ジャグラー」を復興。ジャグラー一門の再建に力を注いだが、事故に倒れて夭折した。
上方漫才を彩った人々(仮)

司敦子(ピンアップトリオ)

司敦子(ピンアップトリオ)は、戦後活躍した漫才師。祖父母、父と親子三代の漫才師の家に生まれ、自身も漫才界に参入。「ピンアップトリオ」と称する音楽漫才で活躍したが、後年は漫才界をやめ、興行師となったという。
上方漫才を彩った人々(仮)

浮世亭柳平

浮世亭柳平は戦後活躍した漫才師。元々市電の運転手であったが漫才が好きで、浮世亭一門に入門。弟弟子と組んで「とん平・柳平」として明るいしゃべくり漫才を得意とした。人気はあったものの、胃癌にかかり夭折した。
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鼻乃ルンバ

鼻乃ルンバは戦後活躍した漫才師。二代目内海突破の弟子で、姉弟子の名前「ルンバ」を継承した。大きな鼻にとぼけた話術を持っていたが、貧困と栄養失調のために21歳の若さで夭折。漫才史上最も若い死者と記録される人である。
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二代目西川サクラ(丘みどり)

二代目西川サクラは戦前戦後活躍した漫才師・コメディアン。「丘みどり」という芸名の方が有名なのかもしれない。同名の歌手がいるが無関係である。上田五万楽の娘に生まれ、西川ヒノデに望まれて「二代目サクラ」として高座に立ったが、余り長続きせずに解散した。
上方漫才を彩った人々(仮)

千葉琴月

千葉琴月は戦前戦後60年近くに渡って活躍した漫才師・女道楽の芸人。元々は邦楽・舞踊何でもござれの芸人であったが、戦時中女道楽の衰退を受けて、養子の琴昇、弟子の琴美をつれて「琴月連」を結成。トリオ漫才の先駆けとして上方を中心に活躍をした。
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宮アオバ・シゲオ

宮アオバ・シゲオは戦後活躍した夫婦漫才師。女流浪曲出身で美人なアオバとミルキー坊やとあだ名をとった喜劇出身のシゲオの取り合わせが売りで、アオバがシゲオをどやす女性優位漫才で人気があったという。シゲオは玉川スミの元旦那である。
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三田マサル

三田マサルは戦後活躍した漫才師。コメディアンから鳳啓助・京唄子劇団に入団し、同座の俳優として活動する傍ら、鳳啓助の弟・森山みつると「みつる・マサル」のコンビを組んだ。後年、京唄子と結婚し、京唄子の3人目の夫となった――が、これも離婚してしまっている。
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姿三平

姿三平は戦後活躍した漫才師。浅草四郎とコンビを組んで「三平・四郎」。ハイセンスなしゃべくりとコント仕立ての漫才で人気を集めたが、不仲のために早く別れてしまった。一時期東京漫才としても活動していた事がある。

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