上方漫才を彩った人々(仮) 松鶴家團之助 松鶴家団之助は、戦前は吉本系の寄席で活躍した漫才師であり、戦後は天王寺村の顔役として活躍した一人。難波利三『てんのじ村』などにそのモデルらしき人物が出るなど、戦後、関西芸能界の顔役として知られ、「村長」の愛称で慕われたという。カバ漫才という独特のネタを演じた。 2020.05.23 上方漫才を彩った人々(仮)
上方漫才を彩った人々(仮) 鹿島洋々 鹿島洋々は戦前・戦後活躍した漫才師。元は落語家で、桂助六の弟子からの笑福亭福円の門下生に移った。「笑福亭福之助」と名乗っていたが。後年、「鹿島に洋々立ちする」という意味を込めて鹿島洋々と改名。夢路いとし・喜味こいしの傑作『ポンポン講談』の原作を作った人として知られている。 2020.05.22 上方漫才を彩った人々(仮)
上方漫才を彩った人々(仮) 浅田家朝日 浅田家朝日は戦前活躍した漫才師。浅田家一門の総帥でもある。戦前人気を集めた浅田家日佐丸は実の弟。拍子木で相方をぶん殴る漫才を確立し、初期の暴力漫才の礎を作った。多くの弟子を育成し、浅田家一門の栄華を誇った功績も挙げられよう。弟子の中からは浅田家寿郎、孫弟子には吾妻ひな子や平和ラッパが出た。 2020.05.22 上方漫才を彩った人々(仮)
上方漫才を彩った人々(仮) 平和ニコニコ・喜楽家花楽 平和ニコニコ・喜楽家花楽は戦前活躍した漫才師。ニコニコは初代と二代目が存在する。初代は漫才が勃興した時代からの大御所で、幼少時代のミスワカナとコンビを組んだこともある。二代目はその弟子。花楽は太夫元の娘として生まれ、剣舞や芝居に優れた女傑として活躍を続けたという。 2020.05.21 上方漫才を彩った人々(仮)