鼻乃ルンバ

鼻乃ルンバ

 人 物

 鼻乃はなの ルンバ
 ・本 名 前沢 由一
 ・生没年 1951年~1972年11月29日
 ・出身地 大阪市

 来 歴

 鼻乃ルンバは戦後活躍した漫才師。二代目内海突破の弟子で、姉弟子の名前「ルンバ」を継承した。大きな鼻にとぼけた話術を持っていたが、貧困と栄養失調のために21歳の若さで夭折。漫才史上最も若い死者と記録される人である。

 経歴は謎が多いが、関係者に聞いたところだと「母親に早く死なれたか、逃げられたか」といった恵まれない環境にあったそうで、「親父さんがいたけどアル中で息子にも無関心な人だった」との事である。

 両親からの愛をあまり受けられず、父親も酒浸りだった事から幼い頃から貧しい暮らしをしていたようである。

『上方演芸人名鑑』によると、木津中学校卒業後、就職。金の卵として働いていたが長続きはせず、就職しては退職する日々を送っていた。

 数年、そんな生活を送ったのち、当時売り出しだった笹山タンバ(二代目内海突破)に入門。

 入門年度ははっきりしないが、横中バック・ケース(西川のりお)や太平サブロー・シローとほぼ同期だったというので、中学卒業して間もなく弟子入りしたとみるべきだろう。

 師匠の付き人やなんやらをしながら、楽屋礼儀や基礎を磨き、知り合いと鼻乃ルンバ・笹山サンバを結成。ルンバの名前は師匠の娘・美千代が名乗っていたものであり、師匠から期待されていたのではないだろうか。

 21歳で死んだだけにその芸風などはほとんど伝わっていない。唯一、団順一の名前で活躍していた漫才作家の萩原芳樹が『お笑い作家の吐息』の中で、以下のように述べている。

 ガリガリに痩せていて、鼻が曲がっている風貌で、実にトボけた味でボケる方でした。
何しろ心臓に持病があって、息が続かないくせに歌を唄おうとします。
息絶え絶えに歌うネタは爆笑ものでした。
「♪な、な、長崎から船に乗った・・・ど、ど、どこに着くかなぁ」
と、苦しそうに歌われるのです。

 デビューしたての西川のりおやB&B、太平サブロー・シローと共に新世界花月の前座として出演していたのも束の間、風邪を引いて寝込んでしまった。

 元来の心臓病に加え、栄養失調を発症し、風邪は肺炎となった。父親は酒浸りで息子の異常を受け取ることなく、ルンバはそのまま息を引き取った。21歳の若さであった。

 その最期は相羽秋夫『惜別お笑い人』に詳しい。

鼻乃ルンバ(はなのるんば)二十一歳の若さで壮絶死
 漫才師 没年 昭和四十七年十一月二十九日 行年二十一歳
 俗名・前沢由一 宗派 浄土宗 
 名も知れぬ若き漫才師が死んだ。わずか二十一歳の、これからという時にである。
笹山タンバ(二代目内海突破)門下生の鼻ルンバという。笹山サンバとコンビを組んで、いよいよ売り出そうとがんばっている時だった。
 仕事が十分にない。だから食べることも満足にいかない。 そんな弱り切った体に風邪が 入り込んだ。食べかねている状態なので医者にかかる費用などさらさらない。 しばらく寝たら治るだろうとたかをくくっているうちに肺炎を併発して、あの世へ旅立ってしまったのである。死因は急性肺炎だが、死亡診断書を書いた医師は、栄養失調であることも付け加えた。
 彼の死んだ三畳一間の部屋には、実の父が一緒に住んでいた。父親はアルコール中毒で、息子が息をひきとるのも知らずに、酒に酔いしれていたというのだ。
 ルンバは、死の直前、父に向かって救いを求めたかったであろう。それも果たせぬまま、 ひとり淋しくったのである。 これを知った楽屋仲間は、一様に涙した。誰が言うともなく奉加帳をまわしたら、およそ世間の義理では考えられないぐらいのお金が集まった。楽屋人情は立派に生きていたのである。
 幹事は、このお金を父に渡したら、きっとまたアルコールに変わるだけだろうと考えて、白木の位牌と、骨上げのままで手つかずになっていた骨壷とをたずさえて、近くのお寺に永代供養をお願いした。
 それでもまだ、余ったお金で、小さいながらも仏壇を求めて、それを父親の部屋に持っていった。やっと事の重大さに気づいたのか、父親は、その仏前に深々と頭を下げたのである。
 名人芸列伝の中に加えるには早いルンバだが、その壮絶な死際は、彼の芸人根性を見る ような気がする。 記して、読者の記憶にとどめてほしいと考えた。

 彼の死後、貧困と病気を悲しんだ仲間の西川のりお、平和勝一(現・ラッパ)、麻里奈々などによって奉加帳が回された。大御所から若手、裏方まで問わず金を出し合い、それで供養したというのだから壮絶な話である。

 戦死や事故死といった不幸な要因や「漫才師の家族」といった当人は芸人として活動していなかった――などという事例を除いた場合でもここまで早く死んだ人は珍しい。

 吉本第七期の期待の星であったベイブルースの河本栄得が25歳で死んだ――とよくいわれるが、それよりも若い。

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