赤井タンク
人 物
赤井 タンク
・本 名 山片 政秀
・生没年 1945年1月15日~1993年6月28日
・出身地 ??
来 歴
赤井タンクは戦後活躍した漫才師。175センチ85キロという巨漢で、漫画トリオと別れたばかりの青芝フックとコンビを結成し、「フック・タンク」で売っていたことがある。芝居も上手で明るい人であったが40代半ばで夭折した。
経歴は『上方演芸人名鑑』に詳しい。
赤井タンク あかいたんく【漫才】
本名山宅政秀。一九四六年(昭二一)~
TTB(テレビタレントビューロー)出身でCMタレントをやっているうち、青芝フックと知り合い、一七五センチ八五キロの巨体とフックの細身とのコントラストを狙い、コンビ結成。昭四三年より一年間やった後、翌年、今東京で女優として活躍している西川ひかるとコンビを組んだがこれも一年足らずで解消した。
トップホットシアターの、”コマ新喜劇”で活躍した。童顔で、多少ホモがかったしぐさが得意だったが、女優前川美智子と結婚、廃業して、現在天満の方でスナックを経営している。
また、生没年はご子息がやっているという『せーたろのブログ 今日はどんな日』より割り出した。
1968年7月、横山ノックが参院選当選したために漫画トリオを離れた横山フックと出会い、「青芝フック・赤井タンク」を結成。斡旋は漫才作家の香川登枝緒であったという。
1968年12月、コマモダン劇場の喜劇「大当り駒五郎一座」に出演。座長は花菱アチャコ、夢路いとし・喜味こいし、若井はんじ・けんじ、芦屋雁之助・小雁、花紀京、茶川一郎、横山アウトが脇を固めた。
1969年4月頃、西川ひかるとコンビ結成。
1970年夏、コンビを解散。ひかるは同年7月、吉本新喜劇に入団。タンクはトップホットシアターへ移籍した。
その後はコメディアンとして活躍。いとし・こいし、芦屋雁之助・小雁などが所属する大宝芸能の専属として活躍。
コメディアンとしては明るく大柄な風貌が売りで、オカマっぽい所作が結構面白かったという。
この大宝芸能にいたのが後の妻となる前川美智子であった。美智子と結婚し、間もなく二人の男の子に恵まれた。
こうした家庭の変化も相まってか、赤井タンクは1970年後半に芸能界を引退して、スナックを開業したという。
その後は一般の家庭人としておさまっていたようであるが、1993年に夭折を遂げた。
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