河内家芳若・豊子

河内家芳若・豊子

河内家芳若・豊子
(胡弓かなた氏提供)

 人 物

 河内家かわちや 芳若よしわか

 ・本 名 黒野 芳次郎
 ・生没年 1900年4月27日~戦後?
 ・出身地 関西?

 河内家かわちや 豊子とよこ

 ・本 名 黒野 豊子
 ・生没年 1901年3月24日?~戦後?
 ・出身地 関西?

 来 歴

 河内家芳若・豊子は戦前活躍した夫婦漫才師。河内家芳春の弟子であったという。戦前、新興演芸部に所属し、ミスワカナ・玉松一郎、浅田家日佐丸平和ラッパなどの大看板の中で中堅格として活躍した。

 人気もそこそこあったと見えてレコードを数枚残している。生年月日は、国立公文書館所蔵『陸支受大日記(普)第1号 昭和14年自1月9日至1月28日』から割り出した。

 元々は河内家芳春の門下生であったというが、確証はない。「笑根系図」等にも記載はない。

 芳若は元々横山文丸、という漫才師と組んでいたらしく、漫才ブーム以前から吉本の諸劇場で活躍。

 『上方落語史料集成』1933年1月下席の広告に、

△新京極花月 エンタツ・アチヤコ、九竜レヴユー団、藤男・光月、クレバ栄治・清・勇、秀子・虎春、静代・文男、竜光、右楽・左楽、すみれ・梅三、文丸・芳若、清子・花びし、三馬、源朝、久栄・橘弥、三八、時子・団治、久次弟妹、三木弥等。 

△千本中立売長久亭 文丸・芳若、円枝、すみれ・梅三、染丸、清子・花びし、福団治、藤男・光月、小春団治、三馬、枝鶴、久栄・橘弥、竜光、三八、竹馬等

 と、出演して居る。ただ、中央の舞台には余り出なかったと見えて、漫才小屋や巡業がメインだった模様。もっともそういった厳しい客に見られ続けたせいもあってか、芸は達者であったと聞く。

 文丸とコンビ解消後、妻の芳子とコンビを結成。すぐさま人気コンビとなったようで、1936年よりレコードを吹き込んでいる。以下はその吹込み記録。

 1936年、タイヘイ、『市電電車』。

 年代不明にタイヘイ、『藪医者』『やりくり』がある(1939年頃?)。

 1939年頃、新興演芸部に移籍し、同部の中堅として活躍。ワカナ・一郎、日佐丸・ラッパ、ラッキー・セブンなどの大看板を支えた。

 戦時中は、なぜか「藤豊子」と名乗っていた。京都を本拠にしていた新興演芸部の諸劇場に出演。その様子は『近代歌舞伎年表京都編』から伺い知る事が出来る。又追記します。

 相応な人気を持ちながらも、敗戦前後に消息不明となる。新興演芸部も解消したため、謎が多く残る。

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