牧野狂児郎

人 物
牧野 狂児郎
・本 名 牧野 ?
・生没年 1902年~1943年11月28日
・出身地 ??
来 歴
牧野狂児郎は活動弁士出身の漫談家。大阪で数少ない漫談家として活躍した。司会漫談も得意とし、吉本の漫才大会や合同芸能大会で存在感を発揮した。
前歴は弁士だったらしいが、謎は多く残る。大阪を中心に活躍したらしい。
1930年代に活動弁士が衰退し、大阪での居場所がなくなるようになると、心機一転漫談家へ転身。近代的なテーマや風俗をモデルにした漫談で人気を集めたという。
また、当時の上方芸人には珍しく標準語に近い話術と弁説を持っており、司会漫談としても重宝されたという。
1935年6月17日、JOBKの全国放送に出演。「時事小唄と漫談」と題して、井上起久子・里川美郎と共にラジオコメディを演じている。
1936年2月13日、JOBKより、シネマコント『花嫁設計図』を放送。
1936年12月末、吉本興業に所属し、翌正月興行より出演している様子が確認できる。
1937年1月30日、JOBKより、漫談『茹で鰐』を放送。
1939年末、ディックミネ一座の司会漫談として台湾巡業に出席――のはずであったが、戦争悪化や興行がまとまらなかったと見えて話は御破談となった。
その後は吉本の花形として長らく活躍した。
1941年1月7日、第二放送より漫談『春のご挨拶』を放送。
1941年3月23日、全国放送の「傷病将士並軍人遺家族慰安演芸会」(和歌山陸軍病院赤十字分院中継)に出演。出演者は――
話『ここで会つたが百年目』久留島武彦
漫談『笑はすべる』牧野狂児郎
浪花節『堀部安兵衛』東天晴
落語『口頭試問』桂小文治
歌謡曲 歌上艶子、波岡惣一郎
1943年10月11日、大阪の花月劇場の歌謡大会に出席し、司会漫談として愛嬌を振る舞いていた。その後、東京に戻って漫談家として高座に出ていたが、間もなく体調を崩して入院。牛込久野内科病院に入ったが、息を引き取ったという。
『都新聞』(1943年11月28日号)に――
漫談家、元弁士牧野狂児郎、急性肺炎で廿五日牛込久野内科病院で死去、享年四十一……


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