藤浪扇太郎

藤浪扇太郎

レコード収録する二人
(左・お龍 右・扇太郎)

 人 物

 藤浪ふじなみ 扇太郎せんたろう

 ・本 名 靏野 志津子(鶴野とも)
 ・生没年 1905年12月25日~1979年
 ・出身地 大阪?

 来 歴 

 戦前・戦後活躍した漫才師。二枚目然とした名前であるが、れっきとした女性である。昭和末まで第一線で活躍した事もあってか、相羽秋夫『上方演芸人名鑑』にその略歴が掲載されている。

 藤浪扇太郎 ふじなみせんたろう【漫才】
 本名鶴野志津子。一九〇五年(明三八)~一九七九年(昭五四)
 新内岡本美住太夫の門下で岡本住之助を名のる。はじめ女道楽でスタート。藤田静子と改名後、現在名にした。砂川捨女とのコンビが長かった。

 なお、生年は『出演者名簿 1963年度』より割り出した。

 藤浪扇太郎の師匠である「岡本美住太夫」なる人物は、1930年、76歳で没した以外、多くの謎が残るが、どうも、新内よりも源氏節(新内と説経浄瑠璃を組み合わせて生まれた芸能。明治~大正期に大流行した)の中心人物だったらしく、多くの女流芸人を率いていたようである。最初、新内語りでなく、女道楽からスタートした、というのも、女性が担い手であった源氏節の一座故の事情があったのだろう。

 この人の前代であろう「美住太夫」は、「源氏節中興の祖」と謳われるほどの名人だった――と尾崎久弥『名古屋芸能史 後編』の中にある。その弟子筋と思われるが、やはり人気も高かったのだろう。詳しくは、薗田郁『明治中後期における源氏節の興行活動の拡がりとそのあり方 東海地方を軸に』にある。若き日の扇太郎も、中京を中心に巡業を続けた事であろう。

 後年、源氏節や新内が廃ったため、漫才師に転向。藤間静子名義で漫才師をやっていた、という。

 戦前、浅田家寿郎と結婚したらしい。

 1940年1月から5月にかけて、千代の家蝶九を座長とした「愛国ショウ」に参加し、ハワイ巡業。藤間静子名義であった。この時、臨時のコンビを組んだのが荒川歌江で、当地では漫才、女道楽と、藤間流直伝の日本舞踊を見せて、喝采を得たという。

 戦後、藤浪真砂と改名し、砂川捨女とコンビを結成。所謂、「女道楽」の趣を強く残す舞台を展開し、笑いよりも音曲や舞踊など、諸芸を魅せる漫才が得意であったという。その芸を、作家の三田純市が敬愛しており、『昭和上方笑芸史』の中で、以下のように語っている。

捨丸の弟子にはこの浮世亭を名乗らず、砂川をそのまま名乗っていた者もあった。そのなかでの異色は砂川捨女、名前からも分かるように女性である。昭和四十年代に彼女は藤浪扇太郎と組んだ。このふたりの高座にも、さきに挙げた桜川末子・松鶴家千代八のコンビに似た古風な味があって、わたしは好きだった。明治に生まれ、大正昭和を――ということは、万歳から漫才への 時代を生き抜いた強みとでもいうのであろうか。このコンビには、ときにもうひとり、藤浪扇女が加わって、かつての女道楽の芸を披露してくれることもあった。

 戦後まもなく松竹演芸部に所属し、荒川歌江とコンビを組んでいたが、歌江が都家文雄とコンビを組むにあたり、コンビ解消。千土地興行に移籍。

 そのあと組んだ、砂川捨女とのコンビが長く続き、千土地系の劇場や寄席に出演した。一時期、浅田アサヒや浜おりうを入れて「バンチャカトリオ」なるトリオを結成した事もある。トリオブームに乗じたらしいが、詳細不明。この前後で藤浪扇太郎と改名した模様か。

 昭和40年代からは浜おりう(お龍)とコンビを結成。こちらも女道楽系の風を残す漫才であったというが、この頃から、その技芸の高さ、達者ぶりが珍重されるようになり、テレビなどに出演。その一部は現在でも見ることが出来る。

 1971年12月11日、YTVサロン『上方寄席囃子』と称する特別番組に出演。古老たちと共に心ゆくまで至芸を演じた。以下はその出演者と演目。

寄席踊り
花柳芳兵衛『大津絵(忠臣蔵五段目)』
藤浪扇太郎『深川くづし(松井須磨子)』
桂南天『ずぼらん』
落語 橘ノ圓都『掛け取り』
寄席囃子 笑福家松鶴、桂米朝、桂春團治、桂小文枝、池中スエ、岸本テル

 この『深川くづし』は、松井須磨子の首つり自殺の当時の面影を強く残した風俗舞踊というべきもので、手拭で首輪を作り、縊死する、という過激な振りがついていたと記憶する。

 同番組は、記録映像として、読売テレビに残されている。ワッハ上方にいけば、まだ見られるはずである。

 1973年3月30日~31日、国立劇場小劇場の企画『播州歌舞伎と大阪俄』に招聘され、東上。『越後獅子』の至芸を披露した。以下はその配役。

茶屋の亭主徳兵衛 二代目 一輪亭 花咲
親獅子惣平    浮世亭 歌楽
子獅子次良    藤浪 扇太郎
三味線      浜 お竜
鳴 物      林家 照蔵

 この作品は長唄『越後獅子』の歌詞をそのままもじって進行をする喜劇で、踊りの素養もなければいけない、という複雑な作品である。

 にわかの生き残り二人を相手に扇太郎は見事に立ち回り、喝采を得た。この時の公演は、貴重な公演記録として認可されたのか、国立劇場に映像が残っている。

 1974年8月3日、『和朗亭』に出演。にわかの『越後獅子』を披露。これも貴重な現存映像として記録されている。以下はその配役。

第五回

五郎・文我『軽口』
一輪亭花咲・浮世亭歌楽・藤浪扇太郎『にわか・越後獅子』
ゲスト 藤本義一 桂小文枝

 後、2,3回出ているはずだが、これは映像として残っておらず、数枚写真が残るばかり。

 1976年、LPレコード『上方演芸 今は昔 藤本義一が訪ねた天王寺村』で浜おりうと共に音曲を吹き込み。これが一番入手できる資料だろうか。

 晩年は上方演芸協会に所属し、第一線で活躍を続けてきたが、『上方演芸人名鑑』によると、1979年に没。この辺りは要調査案件、か。

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