ハッピーボーイズ

ハッピーボーイズ

ハッピーボーイズ
左から佐々木一郎・鶴信也・前川たか志

1967年12月・角座パンフレットお笑い号
関係者提供

 人 物

 つる 信也しんや
 ・本 名 安 弘進
 ・生没年 1933年~1978年夏
 ・出身地 愛知県 名古屋市

 佐々木ささき 一郎いちろう
 ・本 名 高橋 一国
 ・生没年 1942年~ご健在?
 ・出身地 長崎県 長崎市

 前川まえかわ たけ志
 ・本 名 前川 武
 ・生没年 1940年~ご健在?
 ・出身地 北海道

 来 歴 

 戦後活躍した音曲漫才グループ。所謂、冗談音楽をベースとした「歌謡漫談」であったそうで、名古屋を中心に堅実な活躍を続けた。以下は『上方演芸人名鑑』の記載と、関係者への取材をもとに練ったものである。名前の割には、資料がない。

 リーダーの鶴信也は生粋の名古屋っ子で、名古屋市立工芸高校卒業後、何らかの職に就いた後に、芸能界入りしたと聞く。当時としては珍しい、師匠なしの芸人であった。

 1956年、「ハッピーボーイズ」を結成し、名鉄ホールで初舞台を踏む。このグループに関しては、殆ど情報がないため、よくわからんのよ。メンバーの脱退加入を繰り返しながら、地道に活躍を続けていたようである。

 駆け出しの時分に、名古屋でくすぶっていた若井はんじ・けんじと出会っていたそうで、師弟のような契りを結んだという。

 ギターの佐々木一郎は、長崎県の出身。長崎市立丸尾中学校を卒業し、大阪――では名古屋へとやって来た。詳しい理由は知らないが、鶴信也と出会った関係もあるのだろうか。鶴信也に勧められて、「ハッピーボーイズ」に加入し、1961年、千日劇場で初舞台を踏む。

 前川たか志は、北海道出身。北海道写真学校卒業後、音楽修行の旅に出、1965年に鶴信也に入門。メンバーになる。

 残された文献によると、冗談音楽を基盤にした舞台だったらしく、アコーディオンの鶴信也を中心に、ギターの二人がカバーする、というトリオ漫才の流れを色濃く残す芸風だったという。遠藤佳三氏がとっておいたメモによると(多分秋田實『漫才』の写しだと思われる)、

 ・オープニング
ハッピー ハッピー ハッピー ハッピー
これからはじまる冗談音楽
歌と笑いでほがらかに
それではみなさん始めましょう 

 ・エンディング
ハッピー ハッピー
 ハッピー ハッピー
これでおしまい冗談音楽
歌と笑いでほがらかに
それではみなさんさようなら 

 というテーマソングがあったそうな。

 1966年頃より、出世をして、一躍大阪漫才のホープとなった師匠分の若井はんじ・けんじに誘われて、上京。角座や松竹座などに出演し、大阪の舞台でも認められるようになる。

 1969年、トップホットシアター開場に伴い、同劇場に出演。以来、常連メンバーとして活躍。大阪における貴重な歌謡漫才として奮闘した。

 然し、後年、前川たけ志が脱退。後釜として、五十里たけ志を迎えたが、打開策を見いだせることなく低迷。さらに、トップホットシアターの客足が減り、出演も減少。名古屋へ戻ることとなった。

『上方演芸人名鑑』によると、前川は大阪に留まり、スナックを開業したという。

 1976年2月、師匠の若井はんじが胃癌の為に夭折。奇しくも、この数年後に鶴信也も同じ病に罹患して、夭折する。師匠の後ろ盾を失った彼らは、名古屋へと回帰した模様。

 1977年3月、本拠地であったトップホットシアターが閉館。以来、大阪へ出てくる事は少なくなったようである。然し、ふるさとの名古屋にある劇場や大須演芸場で再起を図り、安定した活躍も見られるようになった。

 1978年1月、大須演芸場新春興行に出演し、中トリを務めたのもつかの間。リーダー鶴信也は胃がんに倒れる。以下は、その興行の番組。

1月上席 10日まで

笑福亭小つる(落語)/鳳キング・ポーカー(漫才)/伊東かおる(歌う物まね)/木村好江・透(漫才)/ペペ桜井(ギタージョッキー)/木村栄子(ぼやき漫談)/花房蝶二(モダン紙切り)/ハッピーボーイズ(音楽ショー)/中入/三増紋也(曲ごま)/内海カッパ・今宮エビス(漫才)/桂文生(落語)/暁伸・ミスハワイ(漫才、8日のみ休演)

 闘病に勤めたようであるが、それから半年もたたずに没した模様。40代の男盛りでの死は、名古屋・大阪の芸人たちに大きな衝撃を与え、同年8月31日、彼の為に追善興行が行われ、名古屋大阪の大御所が集った。以下はその番組。

8月31日 余一会 ハッピー・ボーイズの鶴信也を偲ぶ会
①昼12時②後4時 1800円

奇術:不二逸行/一輪車曲乗り:東英治/浪曲模写:大東両/上方漫才:内海カッパ・今宮エビス/落語:桂朝丸(昼の部のみ)/漫談:若井けんじ/漫談:南けんじ/コント:すっとんトリオ/落語:桂春団治(夜の部のみ)/笑&笑:波たかお・たかし/落語:雷門小福/都々逸漫談:柳家小三亀/歌と舞踊:日比純子/コント:ハッピー・ボーイズ/時局漫才:桂喜代楽・愛子/落語:笑福亭松鶴(順不同)

 鶴信也の死を受けて、佐々木、五十里の両人は「ハッピーボーイズ」の看板を受け継ぎ、引き続いて活躍していた様子が当時の『演芸家名簿』からうかがえるが、1983年ころに廃業した模様。

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