吉田菊丸

吉田菊丸

 吉田よしだ 菊丸きくまる

 ・本 名 宍戸 菊太郎
 ・生没年 1896年頃~
??
 ・出身地 ??

 人 物

 漫才創成期に活躍した漫才師。浅田家朝日と組んで拍子木で殴り合う暴力漫才を展開したというが、謎が兎に角多い。

 名前が明治期に活躍した手妻の名人、吉田菊丸(菊五郎の前名でもある)と同じ事、更に後年には「砂川菊丸」が出てくるので、分別がつけられない。兎に角困る存在である。

 前歴等は不明。但し、漫才師になったのは早かったらしく、1916年頃には浅田家朝日とコンビを組んで一枚看板であったという。前田勇『上方漫才八百年史』に、

この文中にある拍子木でなぐるのと青竹でなぐるのと、どちらが先であったかという点で意見が対立し、穐村氏などは浅田家朝日・吉田菊丸のコンビが拍子木で相手をなぐる新手を発表したのが先で、それはたしか大正五年だったといい、横山エンタツ氏自身は、わたしらの方が先だったという。しかしこのような先陣争いは、われわれは興味をもたない。

 とあり、その人気と驚きは相当なものだったとそうで、同著の中で、

骨のない張扇で頭を殴っていた漫才が、拍子木で相手の頭を殴るまでに一大飛躍したのだから、観客は朝日、菊丸の高座へ驚異の眼をみはったのである。丸刈の菊丸の頭を拍子木で殴った時にカーンと冴えた音が場内にひびき渡るのだからびっくりするのが当然である。臨監席の巡礼でさえも、左様な凶器で殴打するとは何事だと目の色を変えて取調べると、この拍子木は内側が、くり抜いてあるので、音響の割りには被害の程度が少いのがわかって、巡査が苦笑いしながら楽屋から立ち去って行ったと、その場に居合わせた芸人から聞いた話である。

 と記されている。しかし、このコンビも大正中盤には別れ、朝日は弟の日佐丸と組む事となる。

 その後は八木義弘とコンビを組んだのか、1925年2月、京都笑福亭上席に、

 ◇笑福亭 一日より三馬、光月、藤男、助六、義弘、菊丸、小枝鶴、三八、文英、文俊、福松、花奴、登吉、枝太郎。

 とある。その後は「末義」(河内家?)なる芸人とコンビを組んでいる様子が散見される。

 同年7月に、千日前の南陽館が色物小屋に改装されるや、そこの看板として出演。出演記録は目下調査中。

 1925年10月下席には、笑福亭と西陣富貴を掛け持ちしている。

 ◇笑福亭 二十一日より[落語]小円馬、福団治、三八、三馬。[万歳]千代春・文春、菊丸・末義、艶子・末丸、ニコ〳〵・正右衛門、幸丸・次郎。
 ◇西陣富貴 二十一日より落語幹部連と万歳大会。[落語]三馬、三八、文治郎、九里丸、染丸、円馬、枝鶴、米団[万歳]正右衛門・ニコ〳〵、次郎・幸丸、末義・菊丸、文春・千代春、艶子・末丸。

 この頃はコンビが安定せず、末義の他にも小山慶司と組んでいたりする。当時は漫才師の結成解散は日常茶飯事だったのでそこまで驚きはない。

 1926年8月は神戸千代廼座に出演して居たらしく、

 ◇千代之座 七色会一行は、圓坊の落語、扇三の人情噺、染五郎、春輔の浪花落語、其他、幸丸、圓蝶、菊丸、八ペの萬歳はいづれも喝采。

 昭和に入ると、吉本系の劇場に出入りするようになる。『上方落語史料集成』によると、1928年4月、花月の上席に、

△花月 (落語)枝之助、(運動)李玉川、(万歳)米二・正月、(万歳)ニチ〳〵・大正坊、(曲芸)直造、(所作事)峯菊・初菊、(掛合噺)歌蝶・芝鶴、(奇術)操光、(万歳)二三丸・菊丸、(落語)助六、(万歳)玉枝・成三郎、(万歳)勇若・虎勇、(女道楽)花菱家連、(万歳)芳江・鶴春、(曲独楽)源朝。

 なお、この興行中に博打をやって拘留されている。『京都日出新聞』(1928年4月4日号)に、その旨と、犯人の記録――という形で、本名と年齢が出ている。こういう記事が、一番役に立つというのが、なんとも情けない話である。

◇芸人の賭博 開帳中に踏込れる  二日午後新京極寄席花月に出演中の大阪市西区九条通り三丁目吉田菊丸事宍戸菊太郎(三二)、同市此花区上福通り二丁目玉子家虎勇事西野利久(三四)、大阪府中河内郡橘大正坊事川村鶴松(三九)、同西成区萩の茶屋李玉川(二五)、若松家太郎こと藤田春一(二六)の五名がカブ賭博中を五条署興行係杉本警部補、木瀬巡査が踏み込んで取押へ目下取調べ中

 上から解釈するに、本名は宍戸菊太郎。生年は、1896年頃か。

 その後の漫才ブームにはイマイチ乗れなかったようで、資料にはそこまで名前が確認できない。

 朝日とコンビを解消した後は、吉田二三丸、吉田菊重と転々とした模様。

『落語系図』の『昭和三年三月より昭和四年一月十日迄で 花月派吉本興行部専属萬歳連名』を見ると、「脱退者一覧」の中に、「吉田菊丸・菊重」とある。

 1931年8月は、神戸境浜海水浴場の漫才大会に出演。ただこれが吉田菊丸と同じかというと困ってしまう。

 23日 〇境浜海水浴場 余興五色會一行演芸大會 午後一時から 漫談と舞踊(しかく)萬歳(扇之助、日出丸)珍芸(楽丸)美術紙切(天外)萬歳(菊丸、瓢■)■交術(豊子)奇術(光子)掛合勧進帳(柴鶴、清三郎)

 30日 〇境浜海水浴場 萬歳大會 文化萬歳(東家扇三、秀丸)滑稽萬歳(河内家蝶々、金丸)モダン萬歳(三河家瓢吾、菊丸)漫談と舞踊(橘家橘三郎)レヴユー萬歳(林家うた次、美代子)高級萬歳(橘の圓童、橘三郎)(末広家音若、■子)/○麻耶山天幕村 諸芸大會 日光山時丸一行△掛合二輪加(日光山重丸、茶■丸)△奇術(一光斎南枝)△珍芸(桂柴鶴)△手踊萬歳(吾■家四郎、同春子)△浪花節(京山松風)△足芸人形剣劇化猫退治(日光山時丸

 その後、砂川菊丸が出てくるので詮索が難しくなる。

 本格的な漫才ブームにはついに乗り切れず、嘗ての相方・浅田家朝日の如く一門も形成する事はなかったこともあってか、いつの間にか表舞台から姿を消す。

 

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