二葉家吉雄・静弥・美千代

二葉家吉雄・静弥・美千代

トリオ漫才で活躍
(関係者提供)

 人 物

 二葉家 吉雄ふたばや よしお 
 ・本 名 野村 健太郎
 ・生没年 1902年1月1日~1964年7月6日
 ・出身地 大阪?

 

 二葉家 静弥ふたばや しずや
 ・本 名 野村 タツ
 ・生没年 1906年~没
 ・出身地 ??

 

 二葉家ふたばや 美千代みちよ
 ・本 名 野村 房江
 ・生没年 1928年6月19日~1993年以降
 ・出身地 大阪市 港区

  来 歴

 戦前戦後活躍した夫婦漫才師。トリオ漫才の先駆け的な存在であり、義太夫漫才を得意とした。吉雄は三遊亭遊三門下の噺家出身という一寸変わった経歴を持っており、古いネタをいくつか桂米朝に伝えたという。

 元は噺家で、戦前の上方落語興隆期を知る数少ない存在になった。当初は桂さん治と言ったそうだが、師匠系統は不明。のちに三遊亭遊三門下に移ったというが、『落語系図』にも出ていない。僅かに桂米朝『上方落語ノート 第一集』に、

 この吉雄氏は漫才に転向する以前ははなし家で、はじめは桂さん治、後に先代三遊亭遊三門に入って遊三郎となった。先代遊三師は長らく上方へ居た人である。

 とある程度か。

 ここでいう遊三は、初代の遊三に非ず、二代目遊三である。戦前は上方、戦後は落語芸術協会に所属して、独特な話術を展開した。決して派手ではないが、実力のある人で、都家歌六などは高く買っていた。晩年は娘か縁者が玉の輿に乗り、裕福になったため、引退をしたという逸話の持ち主。

 ただ、遊三郎で活躍した形跡は殆どなく、師匠の旅巡業の広告にも、『上方落語史料集成』を見ても出ていない。もしかしたら、芸界での便宜を図る上で使った名前弟子だったのかもしれない。

 漫才師になったのは早く、1928年5月に開催された漫才大会に「二葉亭静弥・吉雄」と出ているところから、この時点ではもう漫才師になっていた模様。以下は『近代歌舞伎年表 京都篇』に掲載された出演者一覧。

 三遊亭小円治・三遊亭小円、橘家花奴・菅原家一奴、松鶴家つた子・荒川徳春、桂家遊楽・桂家福徳、二葉亭静弥・二葉亭吉雄、柳家語楽、千本家ゴリラ・千本家静、竹廼屋五郎・竹廼屋すゞめ、玉子家小春・玉子家辰丸、春風亭枝雀・柳家小楽・春風亭柳昇・花の家新五・寿家岩てこ、横山エンタツ・菅原家千代丸、萩村雷山、橘家菊春・橘家太郎

 以来、上方落語の停滞期に入ったこともあって、漫才師一本に絞った模様か。この辺りの経歴には謎が残る。

 妻の静弥もまた経歴に謎が残るが、『笑根系図』をみると、「女義太夫 竹本弥玉弟子 前名・竹本弥節」とある。女義太夫と言えども、本式の師匠についた模様で、義太夫は腹に入っていた模様である。

 この弥玉という人は、名人竹本弥太夫の弟子だったらしいが詳しい事は不明。1927年に70歳で没しているとの由。

 上から考察するに、師匠に死なれた静弥と一緒になった吉雄が誘う形で、漫才転向したと見るべきだろうか。

 1928年、娘の房江が誕生。後年、親子漫才に参加して、トリオとなる。当人は『日本演芸家名鑑』の中で「独立独歩」と語っている。よくわからんよ。

 戦前から活躍していたようであるが、如何せん資料がないため、どうもドサ漫才だったのではないだろうか。吉本系にも松竹系にも姿を見せない所を見ると、独立独歩の活動をしていたのかもしれない。

 戦後、先輩の橘家太郎・菊春が、トリオ漫才で成功している姿を見て、自身も娘の美千代を仕込んで、メンバーに加入させ、トリオを結成。戦後間もない音曲漫才トリオの先駆けとして、活躍する事となった。

 一方、吉田留三郎は『まんざい太平記』の中で、

 また、大郎・菊春と一時一緒だった二葉家吉雄が、妻の静弥および娘の美千子と新規に三人コンビをつくってお目見えをしていたが、吉雄が病気になったのは気の毒である。吉雄は遊遊三に師事したこともある古い芸人である。

 と、意味深な事を述べている。

  義太夫をベースにした漫才だったそうで、静弥が義太夫を本式に唸り、吉雄が滑稽な所作をする、美千子が間に挟まって綺麗な舞踊を踊る――というファミリートリオであった。この義太夫節の展開の仕方をみて、自信をつけたのが三人奴であったというのだからわからないもの。

 トリオ結成後は、松竹演芸部に近づき、浪花座や角座に出演して注目を集めたが、吉雄が中風に倒れ、解散。

 その後、吉雄は長らく寝込んでいたそうで、いつしか忘れ去られてしまった。然し、桂米朝はこの吉雄を懇意にしていたそうで、見舞いに訪ねた際、『ろく鍋』なる珍品落語を教えてもらった、という。以下は、『上方落語ノート 第一集』の一節。

(『ろく鍋』という噺を)圓都南天かしく……といった古い先輩に質問したが誰も知らなかった。ところが二葉家吉雄という漫才師が居て、晩年、中風で長い病床にあったのを見舞いに行った時、この方から「ろく鍋」はこんな話やと聞くことができたのである。

 それから間もなくして吉雄は没したらしく、『古今東西落語家事典』に没年が出ているとご指摘があった。ありがとうございます。

 残された美千代はただ一人演芸界に残り、淡々と舞台を勤めていた。1993年頃まで健在だったそうで、ワッハ上方ができる記念で古老の芸人たちがテレビに呼ばれた際、彼女も古老の一人として参加しているが、確認できる消息はそれが最後で、それ以降の事は何も分からない。

コメント

  1. 8989 より:

    二葉家 吉雄は昭和39年7月6日に亡くなったのではないでしょうか?
    1989年の古今東西 落語家事典の392ページの三遊亭遊三郎の項に載ってます

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