河内家二蝶
人 物
河内家 二蝶
・本 名 ??
・生没年 ??~??
・出身地 関西?
来 歴
上方漫才の創成期に活躍した漫才師。河内家芳春・千代鶴の門弟だったらしいが、謎は多い。兄弟弟子の二代目芳春とコンビを組み、昭和初期に活躍した――が、漫才が勃興する以前に、いなくなってしまう。
元は、落語家だったそうで、橘の圓の弟子、橘の圓三郎の門弟だったらしい。月亭春松『落語系図』の中に
三代目橘の圓三郎
門人 舛三郎 後に二代目萬光門人萬十となり、其後二代目染丸門人染蔵となる。
三代蔵 後に萬歳となり二蝶と云ふ。
とある。この圓三郎は神戸を拠点として、活躍していた名物噺家で、多芸多才な一座が売りであったという。
『上方落語史料集成』の1915年7月30日の記載(『山陽新報』の広告)に、
◇大福座 二十八日より開演の合同落語一座今三十日の出し物左の如し。
東の旅(桂小枝)宿屋町(橘家三代蔵)たらちめ(三遊亭枝雀)手踊(桂家□八)大みゃく(三遊亭萬歳)天下泰平(桂由兵衛)片岡中将(東雲旭破)新町ぞめき(桂家圓玉)たぬきの釜(三遊亭小圓雀)天下一浮れの屑より(桂小燕枝)面芸(藤井圓八)おせつ徳三郎上下(三遊亭圓雀)大魔術(印度人ガブル)大切所作事弁慶安宅松(圓雀)
と出ているが、この「宿屋町」をやっているのが二蝶だろうか。
8月には岡山へ行ったらしく、『山陽新報』(8月14日号)に、
◇大福座 十四日より圓雀一行にて開演する由番組左の如し。
浪花落語(小枝)東京落語(枝雀)浪花落語(三代蔵)落語音曲手踊(萬歳)浪花落語音曲(由兵衛)新講談(旭破)浪花落語滑稽手踊ステテコ(圓玉)東京落語(小圓雀)芝居噺(小燕枝)曲芸いろいろ(團八、東八)今様人情落語盆の曲扇の舞(圓雀)天下一品大魔術(ガブル)所作事(圓雀)
とあるのが確認できる。同時期に、「笑福亭三代蔵」と名乗った噺家もいるのでややこしい(後年、桂春団治門下となり、「桂小春」を名乗る)。
しかし、これ以降なぜか出てこなくなる。円三郎一門としてまとめられてしまったことが原因か。それからしばらくして、河内家芳春の門下へ転じ、漫才師となる。
また、この円三郎は、1920年に亡くなっているので、それ以前に三代蔵が漫才へ転向した可能性は高い。
河内家芳春門下に移り、「二蝶」となる。どうして「芳」「春」といった名前がつかないかは不明。ニワカでもやっていたのだろうか。
当時は漫才の地位も低く、資料も少ないため、わからない事が多いが、師匠について松島の萬歳席や地方巡業でもやっていたのだろうか。師匠の芳春は、1923年に亡くなっている。
師匠没後、芳春を継いだ兄弟弟子と共にコンビを組み、行動を共にし始めた模様か。
1927年8月、京都「笑福亭」の上席に出演。『上方落語史料集成』によると、
△富貴席 納涼落語演芸大会。余興に三無性と滑稽怪談で大いに笑はせる。
△笑福亭 落語と万歳の競演会。出席者は新昇、五郎、二蝶、芳春、馬生、直造、桃太郎、枝め太、ざこば、次郎、しのぶ、つばめ、瓢箪、助六、峰菊、初菊連。
1927年12月、大阪弁天座で行われた「全国萬歳座長大会」に出演。
その時の出演者は21組+物まねの江戸家猫八、八木節の堀込源太。以下はその出演者一覧である。
荒川芳丸・芳春 芦乃家雁玉・林田十郎、都家文雄・静代
玉子家弥太丸・浅田家日左丸 浮世亭夢丸・ 柳家雪江 荒川光月・藤男
浮世亭出羽助・河内家一春 日本チャップリン・梅乃家ウグイス
松鶴家団之助・浪花家市松 玉子家志乃武・山崎次郎
砂川捨市・曾我廼家嘉市 河内家文春・玉子家政夫 松葉家奴・荒川歌江
河内家芳春・二蝶 若松家正右衛門・小正 荒川芳若・芳勝
砂川菊丸・照子 宮川セメンダル・小松月 花房秋峰・出雲金蝶
桂金之助・花次 河内家瓢箪・平和ニコニコ
1928年5月、「紅梅亭」の吉本専属漫才大会に出演。 『大阪時事新報』(5月2日号)によると、
◇紅梅亭 吉本興行部専属万歳秘技競演会 出演者はセメンダル・小松月、玉枝・成三郎、愛子・光晴、楽春・久春、二蝶・芳春、日佐丸・弥多丸、しの武・次郎、カチユシヤ・ラツパ、芳香・芳丸、今男・アチヤコ、大正坊・捨次、ウグヰス・チヤツプリン。余興笛亀、幸治、李玉川。
同年9月、「玉造三光館」の上席に出演。
△玉造三光館 若春、竜光、歌蝶・芝鶴、枝鶴、扇遊、小文治、猫八、ウグヰス・チヤプリン、せき子、幸丸、福団治、塩鯛、一光、蔵之助、円若、久春・楽春、五郎・紋十郎、二蝶・芳春
しかし、これ以降は消息がつかめなくなる。旅巡業などで暮らした模様か。相方の芳春が、曲がりなりにも名を残したのに対し、全くと言っていいほど、消息の知れない、不思議な漫才師である。
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