漫才師たちの口演・速記

志磨八郎『昭和爆笑漫才集』

志磨八郎『昭和爆笑漫才集』は、元漫才師であり、秋田実の片腕として活躍した漫才作家、志磨八郎の漫才台本を集めた一冊。1974年1月刊。表記ではなぜか志磨八郎となっている。芦の家雁玉・林田十郎轟一蝶・美代子といった古老から少女漫才、片野マミ・マリまで30篇近くを収録している。
上方漫才を彩った人々(仮)

河内家千代鶴

河内家千代鶴は戦前活躍した女流漫才師。河内家芳春は夫であり、相方。戦前から河内音頭やヤンレー節を得意とし、戦後は河内音頭の河内家の宗家のような形で河内音頭の普及と啓蒙に尽くした。 
上方漫才を彩った人々(仮)

芦乃家雁玉

芦乃家雁玉は、戦前戦後第一線で活躍続けた上方漫才の大御所。頭でっかちな所から『タコ壺』の愛称で慕われ、第一期の『上方演芸会』の司会を勤め、「いらっしゃいませ、こんばんは」を流行語にするなど、関西弁の啓蒙にも一役を買った。今日では芦屋雁之助・小雁兄弟の師匠として知られる。
上方漫才を彩った人々(仮)

荒川芳政・浅田アサヒ

荒川芳政・浅田アサヒは戦前戦後活躍した漫才師。芳政は荒川芳丸の弟子で、一時期海原お浜と婚姻関係にあったという。アサヒは浅田家朝日の妹分で、朝日嬢と名乗った。長らく地方回りが主であったが晩年は漫才の長老として、桂米朝や上岡龍太郎らに敬愛され、テレビ番組に出演。最高齢の漫才師の一組として、有終の美を飾った。
上方漫才を彩った人々(仮)

竹の家喜雀

竹の家喜雀は戦前活躍した漫才師。若い娘とコンビを組み、ドツキ漫才で人気を集めたというが、よく判らない点が多く残る。レコードが残っており、それが僅かに偲ぶ草となっている、というところか。
上方漫才を彩った人々(仮)

浅田家ニット・エミコ

浅田家ニット・エミコは戦前戦後活躍した漫才師。浅田家系統の名を受け継ぐ最後のコンビでもあった。飄々としたニットと鋭い突っ込みのエミコという対比で実力を示したが、高い評価を得ることなく引退した。
上方漫才を彩った人々(仮)

桂春雨・ミスワカ子

桂春雨・ミスワカ子は戦前活躍した漫才師。桂春雨の名前の通り、二代目桂春團治の弟子で、元噺家である。なお、今日も現役で活躍している桂春雨氏とは叔父甥弟子にあたる。ミスワカ子は河村節子と改名し、吉本新喜劇に移籍。年増役や老け役で不思議な味わいを魅せる名わき役としても活躍した。
上方漫才を彩った人々(仮)

河内文春・尾乃道子

河内文春・尾乃道子は戦前活躍した夫婦漫才師。文春は、芸歴65年近いキャリアを誇り、東西の長老分であった。戦前は河内家文春・美代次の名前で活躍し、吉本興業派遣のわらわし隊に参加するなどした。
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宮川小松月・美津子

宮川小松月・美津子は、戦前活躍した漫才師。二人は実の従兄弟という珍しい間柄を持ったコンビであった。当初は宮川小松月・セメンダルという少年漫才で人気があった。若いながらも芸達者で、戦前の吉本の人気者として一時代を飾った。
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堤英二・よし枝

堤英二・よし枝は戦前・戦後活躍した漫才師。元は浅田家日佐丸の門下で、浅田家日佐松・日佐美といった。低い声の英二と甲高い声のよし枝のアンバランスな味わいと飄逸な話術で、戦後の花月系の寄席で活躍した。かんしゃく玉をハリセンの中に仕込み、ツッコむと同時に爆発音を聞かせるドツキ漫才もやっていた。
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