上方漫才を彩った人々(仮) 小松まこと 小松まことは、大正から平成にかけて80年近く活躍した漫才師。「後ろ面踊り」を十八番とし、珍芸の第一人者として多くのテレビや寄席に出演。この珍芸は林家染丸一門に受け継がれ、「わろてんか」で披露されたこともある。 2020.12.28 上方漫才を彩った人々(仮)
上方漫才を彩った人々(仮) 羽田たか志・二葉由紀子 羽田たか志・二葉由紀子は、高度経済成長期から2010年代まで長く活躍した夫婦漫才。たか志は吉本興業最古参の一人であり、人気漫才「ショウショウ」の羽田昇司の両親でもある。アコーディオンと歌曲をうまく用いた夫婦漫才で堅実な人気を集めた。 2020.12.24 上方漫才を彩った人々(仮)
上方漫才を彩った人々(仮) クレバ栄治 クレバ栄治は、戦前戦後長きにわたって活躍をつづけた曲芸師。幼い頃にアメリカへわたり、同地のサーカスや劇場で活躍。世界を股にかけ、帰国後は大阪吉本の一枚看板として君臨。西洋仕込みの曲技・曲芸を寄席芸として定着させた。戦後は吉本に復帰し、最長老として活躍した。 2020.12.21 上方漫才を彩った人々(仮)
上方漫才を彩った人々(仮) 横山東六と横山ホットブラザーズ 横山東六と横山ホットブラザーズは戦前戦後活躍した家族を中心とした漫才グループ。卓抜した演奏技術とノコギリの芸「お前はアホか」で全国区の人気を得た。晩年は大阪市無形文化財に指定されるなど、長きにわたり、漫才界をリードしてきた大御所である。 2020.12.16 上方漫才を彩った人々(仮)
上方漫才を彩った人々(仮) 巴家寅子 巴家寅子は戦前戦後にかけて「滑稽掛合」「茶番」「八人藝」といった諸芸雑芸で人気を集めた。「寅子」という名前であるが、れっきとした男性である。この名前のせいで女性に間違われるトラブルが度々あったという。今日では今喜多代の師匠として知られている。 2020.12.10 上方漫才を彩った人々(仮)
上方漫才を彩った人々(仮) 三人奴 三人奴は、戦後活躍した音曲漫才トリオ。元来は「塚本やっこ・市松笑顔・市松笑美子」名義であったが、通り名の「三人奴」がいつの間にかグループ名となった。義太夫をベースにした華やかで味わいの深い音曲漫才で独特の境地を開拓した。やっこと笑顔は実の夫婦。笑美子は笑顔の妹に当たる。 2020.12.05 上方漫才を彩った人々(仮)
上方漫才を彩った人々(仮) 千歳家今次・今若 千歳家今次・今若は、戦前戦後活躍した兄弟コンビ。亭号の通り、花菱アチャコの名相方であった千歳家今男の門下生。実の兄弟であるにもかかわらず、小柄で丸坊主の兄・今次とノッポでふさふさの弟・今若という特異な対比で大うけをとった。 2020.12.01 上方漫才を彩った人々(仮)
上方漫才を彩った人々(仮) 千歳家歳男 千歳家歳男は、戦前戦後活躍した漫才師。巨漢で見事な瓜顔だったところから、「カバさん」の名称で知られた。長らく「カバ漫才」なる容貌を散々貶されるネタを武器に、中堅どころとして活躍していたが、晩年は新花月の頭取に転向。名物頭取として睨みをきかせていた。 2020.11.26 上方漫才を彩った人々(仮)
上方漫才を彩った人々(仮) 岡田東洋・小菊 岡田東洋・小菊は、戦前戦後活躍した夫婦漫才師。大阪漫才の中で、三線とマラカスをかき鳴らし、しゃべくりの合間に琉球舞踊を踊るという沖縄色の強い不思議な漫才を得意とした。その特異な芸風のせいか、大阪よりも沖縄に資料が残っている実に不思議なコンビである。 2020.11.22 上方漫才を彩った人々(仮)
上方漫才を彩った人々(仮) 浮世亭夢路 浮世亭夢路は、戦前活躍した漫才師。浮世亭夢丸の秘蔵弟子であり、戦後の上方漫才を率いた浮世亭夢若の最初の相方でもある。大柄で飄逸な味を持っていたというが、丹毒に罹患し、1935年に29歳という若さで夭折した。その死は『ヨシモト』で追悼座談会が催された程であった。 2020.11.18 上方漫才を彩った人々(仮)