上方漫才を彩った人々(仮)

上方漫才を彩った人々(仮)

竹の家喜雀

竹の家喜雀は戦前活躍した漫才師。若い娘とコンビを組み、ドツキ漫才で人気を集めたというが、よく判らない点が多く残る。レコードが残っており、それが僅かに偲ぶ草となっている、というところか。
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浅田家ニット・エミコ

浅田家ニット・エミコは戦前戦後活躍した漫才師。浅田家系統の名を受け継ぐ最後のコンビでもあった。飄々としたニットと鋭い突っ込みのエミコという対比で実力を示したが、高い評価を得ることなく引退した。
上方漫才を彩った人々(仮)

桂春雨・ミスワカ子

桂春雨・ミスワカ子は戦前活躍した漫才師。桂春雨の名前の通り、二代目桂春團治の弟子で、元噺家である。なお、今日も現役で活躍している桂春雨氏とは叔父甥弟子にあたる。ミスワカ子は河村節子と改名し、吉本新喜劇に移籍。年増役や老け役で不思議な味わいを魅せる名わき役としても活躍した。
上方漫才を彩った人々(仮)

河内文春・尾乃道子

河内文春・尾乃道子は戦前活躍した夫婦漫才師。文春は、芸歴65年近いキャリアを誇り、東西の長老分であった。戦前は河内家文春・美代次の名前で活躍し、吉本興業派遣のわらわし隊に参加するなどした。
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宮川小松月・美津子

宮川小松月・美津子は、戦前活躍した漫才師。二人は実の従兄弟という珍しい間柄を持ったコンビであった。当初は宮川小松月・セメンダルという少年漫才で人気があった。若いながらも芸達者で、戦前の吉本の人気者として一時代を飾った。
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堤英二・よし枝

堤英二・よし枝は戦前・戦後活躍した漫才師。元は浅田家日佐丸の門下で、浅田家日佐松・日佐美といった。低い声の英二と甲高い声のよし枝のアンバランスな味わいと飄逸な話術で、戦後の花月系の寄席で活躍した。かんしゃく玉をハリセンの中に仕込み、ツッコむと同時に爆発音を聞かせるドツキ漫才もやっていた。
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広多成三郎・もろ多玉枝

広多成三郎・もろ多玉枝は戦前戦後活躍した漫才師。色白で面長の玉枝を成三郎が「馬」と見立て、徹底的にこれを揶揄する「馬漫才」なる一芸で、吉本興業の看板芸人として君臨した。戦前は荒川成三郎・玉枝といったが、戦後姓名判断を元に改名したという。
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玉子家志乃武

玉子家志乃武は戦前活躍した漫才師。玉子家円辰の門下だというが、謎が多く残る。芸名の由来は「篠竹」だという。山崎次郎とのコンビで、創設期の吉本興業で活躍。オリエントレコードやタイヘイレコードから漫才のレコードを発表するなど、相応の人気と実力を示したが、漫才ブームを目前に夭折をした。
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華井秀子・八千代

華井秀子・八千代は戦後活躍した女流漫才師。但し、芸歴自体は古く、二人とも戦前からの漫才師である。秀子は松鶴家団之助の妻で、良きパートナーであった。また、戦後は女道楽風の味わいを残す古風な漫才師として珍重され、三曲万歳やテレビ番組などにも出演した。
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浅田家キリン

浅田家キリンとは、戦前活躍した漫才師。元は浪曲師で、浅田家朝日の門下。「キリン」の名の通り、細長く色白の顔と首がトレードマークで、この長い首を生かした「抜け首」などの珍芸で人気を集めたが、後年はしゃべくり漫才一本に絞り、独自の話芸と人気を構築した。戦後は興行師になったという。
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