上方漫才を彩った人々(仮)

上方漫才を彩った人々(仮)

岡田東洋・小菊

岡田東洋・小菊は、戦前戦後活躍した夫婦漫才師。大阪漫才の中で、三線とマラカスをかき鳴らし、しゃべくりの合間に琉球舞踊を踊るという沖縄色の強い不思議な漫才を得意とした。その特異な芸風のせいか、大阪よりも沖縄に資料が残っている実に不思議なコンビである。
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浮世亭夢路

浮世亭夢路は、戦前活躍した漫才師。浮世亭夢丸の秘蔵弟子であり、戦後の上方漫才を率いた浮世亭夢若の最初の相方でもある。大柄で飄逸な味を持っていたというが、丹毒に罹患し、1935年に29歳という若さで夭折した。その死は『ヨシモト』で追悼座談会が催された程であった。
上方漫才を彩った人々(仮)

三遊亭川柳

三遊亭川柳は戦前活躍した漫才師。一輪亭花蝶とコンビを組み、「川柳・花蝶」で売れに売れた。独特の話術を持ち味とし、エンタツアチャコとはまた違った味わいを見せたが、惜しくも太平洋戦争で応召され、戦死したという。
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一輪亭花蝶

一輪亭花蝶は戦前戦後活躍した漫才師。「一輪亭」の亭号を継いだだけあって、ニワカや軽口の名残を残す古き良き話術を見せた貴重な継承者であった。戦前は三遊亭川柳、戦後は松原勝美とコンビを組んだ他、晩年は「大阪にわか」や軽口を演じ、喝采を得た。
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河内家房春

河内家房春は戦前活躍した漫才師。名門・河内家の流れを汲み、漫才創成期より活躍。廣澤虎造や人気浪曲師の節真似を看板芸に、吉本の主戦力として花月系の舞台に立ち、レコード吹込みなどもした。売れっ子であった一方、大変な奇人で漫才よりもそちらで浮名を流したという。相方は妻の鶴江が長かった。
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H・フォン・タクト

H・フォン・タクトは戦前戦後活躍した外国人漫談家。多くの漫才師や落語家たちの中に挟まって、「一人オーケストラ」なる演目を開拓。その独特の芸や愛嬌で独自の人気を集めた。戦後勃興した外国人タレントの中でもひときわ異色な存在である。
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松鶴家千代八(二代目)

松鶴家千代八(二代目)は、戦前戦後活躍した女流漫才師。松鶴家千代八は実の夫で、相方でもある。戦前は夫・千代八とのコンビで、戦後は桜川末子とのコンビで長らく漫才の第一線に立ち続け、数え歌、俗曲、三味線などの味をふんだんに生かした古風な「萬歳」の古格を守り続けた。
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桜山梅夫・桜津多子

桜山梅夫・桜津多子は、戦前戦後活躍した漫才師。両人ともにキャリアは古く、縁戚関係にあったが、夫婦ではないという特殊なコンビであった。梅夫は漫才界きっての三味線の名手であり、櫓太鼓やたぬきなどの難曲を見事に弾きこなした。津多子は貫禄のある歌声と特徴的な「細目」で人気があった。
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寺島玉章・茶目

寺島玉章・茶目は、戦前は大阪吉本、戦後は東宝名人会を中心とした寄席で活躍した曲芸師グループ。玉章は秦玉章という名の中国人で、外国人タレントの先駆け、茶目は玉章の妻の弟で弟子分という複雑な関係を有していた。火の輪くぐりや人間ブリッジを得意とし、戦前戦後長く息を保った。
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河内家鶴春

河内家鶴春は、戦前戦後活躍した漫才師。戦後、女流漫才の人気者で会った浜お龍は妻で相方であった。亭号の「河内家」の通り、河内家芳春の門下。三味線から音曲まで何でもこなす器用な芸人として有名で、長らく吉本の看板として人気を集めた。

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