長門英二・佐々木昭六

長門英二・佐々木昭六

昭六・英二(右)

 人 物

 長門ながと 英二えいじ
 ・本 名 ??
 ・生没年 ??~??
 ・出身地 ??

 佐々木ささき 昭六しょうろく
 ・本 名 ??
 ・生没年 ??~??
 ・出身地 ??

 来 歴

 長門英二・佐々木昭六は戦前の吉本で活躍した漫才師。俳優上がりの演技や構成力を生かして「水兵漫才」を開拓。本式の軍服を着て、上官と下っ端のドタバタ喜劇からの奮戦、戦死と劇的に描くドラマチックな漫才と演技で一躍人気者になったという。

 相変わらず経歴不明であるが、『読売新聞』『都新聞』(1936年2月16日号)のラジオ欄に僅かであるが経歴が出ている。

長野さんは帝キネの俳優から新派劇を経て大江美智子の一座に加入、二年前から漫才に移った方、佐々木さんは元曾我廼家五一郎の座員、それから東京でレヴューのマネージャーをつとめてゐましたが、三年前漫才に転向して吉本に入社された方です

『都新聞』(1936年2月16日号)

最初の英二、昭六は最近売り出しのコンビ、英二は新興の前進の帝キネ、大江美智子一座の俳優生活から二年前漫才に転向した。昭六は曾我廼家五一郎一座にゐたが東京の某レビュウの支配人に転じ三年前から漫才に移った

『読売新聞』(1936年2月16日号)

 帝国キネマは1920年設立、1931年解散なので、英二の経歴は古い事が判る。昭六が「レビューの支配人」をやっていたというが、どこにいたのだろうか。

 英二は1934年、昭六は1933年に漫才になったという。意外に新しい顔である。

 吉本に参入したのは、1934年頃の模様か。『上方落語史料集成』を見ると、1935年1月にすでに、

一日より
△新京極富貴 三馬、次郎・源若、蔵の助、柳枝・一駒(新人漫才)、三木助、石田一松(流行小唄)、円枝、昭六・英三、幸児・静児、神田伯龍、円馬、雁玉十郎、(五日より)篠田実(浪曲)。

十二日より
△新京極富貴 三馬、一郎、九里丸、神田伯龍、昭六・英二、染丸、正光、徳川夢声、柳枝・一駒、千橘、枝鶴、川柳・花蝶、柳亭春楽、三木助、石田一松

 とある。この頃には水兵漫才をもう完成していた模様か。元々の素質があったのか、はたまた当時の風潮とウマが合ったのか、1935年8月には名門劇場、北新地花月に出演したという。

一日より
△北新地花月倶楽部 せんば、蔵之助、春団治、右楽・左楽、染丸、昭六・英二、千橘、エンタツ・エノスケ、円馬、扇遊、円枝、雪江・五郎、三木助、文雄・静代。

 9月21日より、天満花月に出演。

△天満花月 新昇、おもちや、源若・次郎、一光、菊丸・照子、円枝、扇遊、市松・芳子、松鶴、夢若・夢路、正光、文治郎、昭六・英一、呉成錬・松子、千橘、水月・朝江。

 金語楼の「兵隊落語」を改良した「海軍漫才」なる芸を開拓。幕が開くと二等兵の昭六が掃除や武器の手入れをしており、上官役の英二が「貴様はどこの兵隊だ」と尋ねるのが大体のデフォで、
「日本軍であります!」
「これは聞き方が悪かった」
「うむ!これからは気を付けるように!」
 とあべこべになったり、手紙や仕事のやり取りで昭六が頓珍漢な発言をし、英二が「馬鹿者!」と怒鳴る軍人の悲哀を描いた所に面白みがあった。

 しかし、幕が変わると「突撃攻撃」の場面となり、上官役の英二が奮戦の上に戦死。日章旗や日本・満洲国旗を頂きながら死ぬまでの演技をするなど、ドラマツルギー溢れる舞台を展開した。

 その為に二人はわざわざ軍服を作り、おもちゃのピストルや機関銃を作ったというのだからこだわっている。

 1936年2月16日、大阪花月倶楽部の寄席中継に出演。『漫画の兵隊さん』を披露する。共演者は笑福亭松鶴『いかき屋』、石田一松『街頭風景』、林田五郎・柳家雪江『維新行進曲』

 1936年3月上席、北新地と並ぶ名門南地花月に出演。

△南地花月 小雀、クレバ・清、昭六・英二、春団治、川柳・花蝶、正光、千橘、右楽・左楽、松鶴、文雄・静代、扇遊、三木助、雁玉・十郎、正蔵、春本助次郎(曲鞠)、柳家三語楼、エンタツ・エノスケ。

 同月下席にも出演している。

 5月上席、新京極富貴。

△新京極富貴 右之助、三八、二郎、三馬、染丸、おもちや、ろ山、英二・昭六、文治郎、玉枝・成三郎、円馬、十郎・雁玉、三木助、久里丸、一駒・柳枝

 6月中席、南地花月の「漫才大会」に出演。

△南地花月 <漫才大会> 昭六・英二、妙子・歌楽、光晴・夢若、八千代・千代八、花蝶・川柳、庫吉・芳奴、竹幸・出羽助、染団治・雅子、雁玉・十郎、文雄・静代、エンタツ・エノスケ、雪江・五郎、アチヤコ・今男、春本助次郎、花月亭九里丸。

 6月下席、新京極富貴に出勤。

 この出演後、英二と昭六は別れた模様。英二は、菊野ノボルという男とコンビを組み直した。

 昭六はカクテルという相方と組み直し、「カクテル・昭六」。

 相変わらずの海軍漫才を展開。英二は長官役だったので、下っ端のボケ役がいれば誰でも相手にできたんじゃないか。

 1937年4月上席、久方ぶりに新京極富貴に出勤している。

△新京極富貴 右之助、三馬、クリスケ・クリカク、三八、英二・のぼる、蔵之助、とり三・なり駒、文治郎、幸児・静児、円馬、雪江・五郎、芳男、成三郎・玉枝、松鶴、染団治・雅子。

 7月中席、新京極富貴に出勤。ノボルとのコンビでは流石の北新地・南地花月は踏めなかった模様か。

△新京極富貴 右之助、英二・ノボル、三八、エンドウ・つばめ、牧野狂児郎、寿・福奴、三馬、小松月・美津子、小円馬、市松・芳子、二郎、円馬、柳枝・一駒、馬生、春団治、文雄・静代。

 1937年9月5日、タイヘイレコードより『海軍漫才 名誉の負傷』(56704)を発売。これが唯一のレコードとなった。

 以来、新京極富貴にも出なくなる。神戸の千代の座などに移籍したのだろうか。

 1938年10月中席、久々に天満花月に出ている。

△天満花月 染八、ノボル・英二、小福・八重吉、染丸、橘弥・久次、春団治、美津枝・幸福、九里丸、三好・末子、円枝、五十鈴・福次、小円馬、喜楽・栄子、雁玉・十郎、馬生、一郎、夢若・光晴

 しかし、これを最後に表舞台に出なくなる。小島貞二などの説を正しいとするならば、「日中戦争勃発以後、兵隊漫才は官憲から目をつけられ、思うように行動が出来なくなった」という。

 確かに、「兵隊漫才」のレコード吹込みなども殆どなくなった事実がある。皮肉な話であるが、「戦意高揚」を狙っていた漫才が、真っ先に弾圧され、表舞台から消えてしまったという事になろう。

 兵隊漫才の栄枯盛衰と立場のもろさをうかがわせるコンビである。

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